摂食障害 卒業〜自分の答えを創る、見つける

19年来の摂食障害(主に過食嘔吐)の終わりが見えてきました。克服の記録を残しておくブログです。

ほんとに食べたい?ぐるぐる思考 対処法

…対処法、なんて看板掲げちゃいましたが。



きのう

「これをすれば、治る」っていう魔法みたいな方法は、ない


って、書きましたが



これは、魔法みたいな方法。


もうやめるって決めたのに

過食の衝動がくる、っていう時に効く魔法かな。



たぶん、長年の積み重ねで

脳内に自動的な過食衝動活性化回路、みたいなのができてるんでしょうかね。


私のは経歴が長い分、回路も太くて丈夫そうなイメージです。


そこを電気信号的なピピピが駆け抜けるわけです。



たとえば、子どもが寝たとき。

ピピピ…

あ、チャンス来た、過食したい…かも。



それは、たぶん


ちょっと暇ができたら、テレビつけたくなる、とかスマホ見たくなる、だとか…


仕事ひと段落したら、コーヒー飲みたくなる、一服タバコでも、だとか…


クッキー食べるときに、紅茶がほしくなる、とか


お気に入りのお店の前を通ったら、つい入っちゃう、とか


青信号が点滅し出したら、走り出したくなる、とか


…もうちょっと、いい例えが出てくればいいんだけど…


とにかく、いつものパターンだから、自動的に、次の思考、行動につながる、みたいな状態でしかなくて


単に、これまで経験頻度の高い、次の思考、行動が自動で起動されているんだと思うのです。



その思考は「私」ではないです。



そうやって、自動で流れてくる(どこからともなく…どこかから受信しているんだろうか。)思考や感情を見ているのが「私」



だから、やめる、って決めたなら


流れてきた思考に同化することなく…

…あたかも、自分が過食したくてたまらないかのように錯覚させられている、ってことにしっかり気付いて、

これは私ではない、って

切り離してしまうことが必要です。



…といっても

ほんとに見事に錯覚しますので


いったん、あたかも「私」かのように「過食したい」って思考が生まれますと


私は、ほんとうにしたいんだろうか、ほんとうはしたくないんじゃなかろうか、我慢できるんじゃなかろうか、やらない方がよいんじゃなかろうか、でもストレス発散として、この衝動に従うことも今は必要なのではないか…


などなど、ぐるぐる思考スタート!です 笑


でも、そもそも

スタートの思考「あ、過食したい、かも」

が、まやかし、「私」ではないってなれば、


お、思考のやつめ、また来たな…

と。


ぐるぐる回路で思考を膨らませることなく、

ただ眺めていればいい



で、そんな

思考のやつ、来たな…って時に

頼りになる 魔法がマントラです。


今私が絶賛愛用中なのはこちら。

https://youtu.be/obq4Qd9H5hY


om namo naraya naya

をただただ繰り返します。


意味…なんだったかな。

意味わからなくても、大丈夫です。


一緒に声に出して歌い続けると、効果抜群。

思考退散です。



その前には、別のおまじないも使っていました。


魔よ、もうお前たちの居場所はここにはない。立ち去りなさい。これまでの働きに感謝する。


祓えたまえ

清めたまえ

守りたまえ

さきわえたまえ

(神人さんより)


最後の4行は近所の神社にも書いてありました。



魔。

つい、魔が差して、、、

の、あの魔です。


魔…困った思考と重なるのかな?


いずれにしても、

それはほんとうの自分ではない


治すのは自分

頼もしいブログ

http://eatingdisorderrolemodel.hatenablog.com/

もう、更新はされていないけど。


ようやく、読める段階に来たなあと思う。



そう、治すのは自分しかいない。



たくさんの人の手や、手段のおかげでここまできた。


もう、自分で治せるところまできた。



なにか、特別な方法、、、

これをすれば

ここへ行けば

この人の話を聞けば



という魔法のようなことは起きない 。



過去が全て癒されれば治るわけでもない。


(治す力を発揮するために、トラウマの処置はある程度、大事だけど)



このワークに参加したら、変われそう

自分軸で生きられたら、治るだろう

両親との関係性の歪みを正したら?

エネルギーの流れが整ったら治る?

やりたいことに注力できていれば治る?



あらゆることをやってきた感がある中


その都度、一時的な平穏は訪れる。

長ければ、一年、数ヶ月、あるいは数日

つかの間の穏やかな、「あるべき」日々!



1番最近は、完全に両親への感情が癒された後

完治と思える数ヶ月だった。


再開の恐れ、不安もなく

ただ日々を味わえる幸せな日々が数ヶ月続いた。

ああ、私はあたらしく、このようにして生きていくのだ、と喜びに満ちていた日々。


食に振り回されない日々。

食品の買い置きができる、嬉しいさ。

子ども用のお菓子だって、ストックできる。



そんな日が突然終わったときのショック。

一回だけ、のはずが

気付けば毎日、

今だけ、のはずが

ずぶずぶ元の生活へ


まだ癒しが足りないのか、

…と心当たりの方面に参加し

(それはそれで、再起しようという、大切な行動なのだけど)


その後訪れる、完全を感じさせる喜びの日々



だけど、長く続かない。



また衝動にのみ込まれ身動きがとれなくなる


ああ、これはまだ足りなかった部分。

これに参加すれば、今度こそ。


…このループが周期が

だんだん短くなり加速して

さすがに気付く。



外に求めても、きりがない。





もう、私は知ってる。

過食嘔吐がない、あの穏やかな日々を。


ちゃんと知っている。


そっちを選びたいって、

本当の心の声も、もう聞こえる。


じゃあ


あとは、その声を無視しなければいいだけ。


こっちを自分で選べばいいだけ。


もう、今は、選ぶ力もある。


手段もたくさん知っている。


・衝動が来ないように生活を整える

・夜しっかり寝る

・心地よい環境をつくる

・音楽。大事。

・自然の中で過ごす時間を確保する

・1人の時間を持つ

マントラを唱える

・ゆっくりお風呂にはいる

・美味しいお茶を飲む

・自分の呼吸を感じる

etc


このような、シンプルなこと

こんなシンプルなことを、

できない、と決めてきたのはだれ。


衝動がそうさせてくれない、と。


なにかのせいで、

誰かのせいで

この衝動が起きている、

私を癒すために、過食嘔吐が必要だ、と


私が決めていた。


今は、必要だから。

過食嘔吐で無になることが必要だから。

過食嘔吐する私を責めてはいけない。


大丈夫だよ。

安心して、食べて吐いて。

それが、あなたのリラックスの方法、

奪っちゃだめ。責めないで。


…そういう時期もたしかに、あった。


過食嘔吐することで、

なんとか自分を保てていた頃。



でも今はちがう。


もう、過食嘔吐なしで、

幸せに生きていける。



こっちを選ぶと

私はもう、こっちを選べますと

決めるだけ♡




本当に?という神さまのお試しは

まだ来るかもしれない。


その度に

もうやめます^^と

決めるだけ。
















やらなくても いいんだ

まだ、時々やってくる衝動。


過食嘔吐


衝動が来てしまうと

抗うのは、なかなか難しい。


衝動が来ないようにするのがポイントなのかな。



過食嘔吐が数日つづくと、

そうしたいのか、したくないのか

分からなくなる時がある。


できる環境が整っているから、したい

とか。


(家族が留守、時間がある、などなど)



やれるときに、やっとこう、という思考も浮かぶ。



でも あんまり疲れていて

「休みたい」が、「過食したい」に勝ることが増えている。


…疲れていたって、

「休んでいたら、過食する時間がなくなっちゃう!とりあえず、買い物行っとこ!」という思考になる場合もある…



そっちを選んじゃう時もある。



そう思うと、もう動けない、ってレベルの疲れは、身体からの愛あるサインなのかな。



少し休んでいたら

「しなくてもいい」

という気持ちが、ふと浮かんできた。


そう 思わなきゃ、で思い浮かべたのでなく、ぽっかりと浮かんできた。



ただただ、ほっとした。


「しなくてもいい」


この思考を 自分で選ぼう、と思った。


初めての感覚。


この日は


しなくてもいいんだ♩


と、1日 穏やかにうれしく過ごした。



はじめに

はじめまして。


何から書こうかな。


摂食障害

はじまりは19歳の頃だったか


今38歳なので、いよいよ来年には20年!

記念すべき 笑


この19年、あらゆる局面を経て

いよいよ終わるのかなあ、というタイミングに来ています。


闇雲にもがいた時期、諦めた時期、

入院(開放病棟閉鎖病棟)、祖母宅へ疎開、地方の寮で生活、結婚、出産を経て、保健師さんへの相談、カウンセリング、ヨガ、インナーチャイルドとの対話、菜食、氣功、、、

過食嘔吐をしないために」いろんなことをしてきたなあ、と思いますし、食べ吐きの毎日の中、もはや摂食障害は私のライフワークだな、と思うほどです…ほんと、時間もお金も果てしなく注ぎ込みました。


こんだけ人生かけた(!)ことなんで、過食嘔吐に関しては、だいぶ極めた感があります…


ここまで極めたんだから、、、せっかくなので、記録に残したいと思って、ブログを開設しました。


今、克服を目前にして思うのは、

克服経験者の話を色々聞きたい、ということです。



混沌の中にいた頃、母に「治った人の本でも読んでみたら?」と言われました。

とてもじゃないけど、読みたくない!!と激しく思ったのを、覚えています。


過食症でいたかったんですね。

そんなの読んで、治っちゃったら困る、って、無意識にですけど、思っていたのかな…


それを思うと、ようやく、今知りたい、と思える段階に来たんだな、と思います。


そして、私も次の誰かのために、記録を残したい、と思うようになりました。


これだけ、治りにくい病気、全員に必ず効果がある、絶対治る!な方法はないんだと思います。


でも、克服のコツやヒントの選択肢にたくさん出会えば、自分にぴったりな方法も増えるかもしれません。合わなければ、また他の方法も試す。の繰り返しかなあ、と。



この方法なら、ぜったい!完璧!一発!

…みたいなことを、探してきた気がするんです。



で、ダメだった〜、もういいや〜!みたいな流れ 笑



完璧主義者あるあるでしょうか。



小さなコツをたくさん組み合わせて、結果をみて、また取捨選択…し続けることが、克服への道を一歩ずつ進むことになるのかなあ、と思っていますが、どうでしょうか。


そんなことで、役に立つか立たないかは、その時々、人それぞれ、にはなるでしょうが、私が克服に向けて、あ、これいいな、って気付いたことを記録していくつもりです。



初回から長くなりました。


更新は、記録したくなった時、の気ままなブログになりますが、もしよければお付き合いよろしくお願いします^^


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。